オバフォー夫婦の高度不妊治療日記(夫版)

夫の側から見た、高度不妊治療および超高齢出産について記していきます。

採卵への道のり(1)

と、ここからについて書くのに筆が重くなり、本日に至る。

ここからは採卵について書いていくのだが、思い出すだにつらいことがあった、とかではなくて、

単純に七面倒くさいのである。

治療を受ける方は、先生の指示に従って薬を飲んだり注射したり検査したり、というだけ。ただでさえ面倒くさがりなKAWA夫婦なので、先生に治療方針を尋ねて「いや、ここはうちはアンタゴニスト法で行くべきじゃないですか?」なんて議論を吹っ掛けたりはしないのである。

そこらへんは、信頼できそうな医者を探すことでカバーする。で、一遍信頼した以上は文句は言わず、ただその人に従う。

餅は餅屋、が身上なのである。

でも、ブログにつけて人様にお見せするとなると、「言われるがままにしてただけです」というだけでは説明にも何もならない。

ということで、おっくうさを押して、今更ながらに調べてみたのがざっと以下の通り(といいながら、ほとんどが先輩ブログの読みかじりです。先達はありがたきかな、と)。

 

まず、前々回において、つまこの血液検査で「E2」「FSH」「LH」というデータを調べたと書いた。これはすべて妊娠に関して脳から分泌されるホルモンである。

まず出てくるのがFSH。これは卵胞に作用して、卵子を育てる作用を行う。FSHをガンガンにぶち込めば、その分多くの卵子が熟成することになる。

ところが、自然界において、ヒトの生理周期1サイクルで卵が熟成するのはひとつでいい。だから、ある程度FSHが上がると脳は今度はE2という別のホルモンの分泌を命じ、その分FSHの分泌を止めてしまう。

E2は子宮の環境を整える(クリニックではよくこれを「ふかふかのベッドにする」というが)作用があり、卵子の受精・着床に備えてくれる。そしてE2も多くなったし頃合いもいいな、となると今度はLHの出番で、これが多くなると卵は子宮へと排卵されることになるのだ。

排卵された卵子精子の到着を待ち、やがて受精して子宮にへばりつく。これが妊娠と言うわけである。

 

となると、高度不妊治療を行うに際してはこの自然のサイクルをいじくってやらないといけない。

高度不妊治療とは卵子を採ってきてシャーレの上で受精させ、育った受精卵をお腹に戻すという作業を繰り返すのだから、取ってくる卵子は多ければ多いほどいい。そのためには、上述のFSHをガンガンぶち込んでやって、卵子を沢山プリプリに育てないといけないのだ。

しかも、卵子が子宮の中に排出されてしまったら、それをつまみだして外界に出してやることもできなくなる。だから、プリプリに育った卵子を、排卵の直前を見極めて摘みに行かないといけない。

そんな繊細な作業を行わないといけないのだ。

だから、採卵前はFSH、E2、LHの値をこまめに取って採卵に最も適切な火を決める必要があり、そのためにつまこの通院の頻度があがる。

記録によれば我が家では採卵を2回行ったのだが、1回目の採卵では5月29日に初診を受けて、それから6月13日の採卵日までの2週間でほぼ3日おきに4回ほどクリニックに通っていた。

話は少し脇にそれるが、この採卵までのスケジュール調整は結構きついものだと思う。つまこの職業はお気楽極楽、週休4日のパート業だけれど(と言ったら怒られるが)、それでも仕事の繁閑もあるし、いいタイミングでお休みを貰えるとも限らない。日程調整と言い訳のひねり出しだけでもなおさらストレスのたまることなのである。これだけ休みにワガママになれば「なぜ?」と聞きたくなるのも人情だし、不妊治療を受けていることを周りに隠しておきたい夫婦であれば、そのつらさはひとしおだろう。

ちなみにKAWAとつまこは、というと「不妊治療を受けていることをなぜ秘密にしなきゃいけないのかわからない」という派であったので、つまこも堂々と「不妊治療のクリニックに行くのでその日は働けません」と言えるし、KAWAも「週末の予定?不妊治療っすよ」とネタに出来たくらい。こんな風にあけっぴろげでいると、周りの方が却ってワタワタしてくれるのがありがたいと言うか。

 

だから、KAWAとつまこは胸を張って言いたい。

不妊治療の何が悪い。あえて公言して回ろうではないか。

生殖機能の欠陥は、ヒトとしての機能不全を意味するものではない。子供もロクに作れないのね、なんて後ろめたい思いをする必要もないし、医療技術はこちらの味方なのである。

そして、周りの人たちも、不妊治療を受けているカップルを暖かく見守ってやってほしい。子供が欲しい、というのはワガママではなくて、生物としての最大の欲求のひとつであるはずだ。こうも仕事を休まれれば迷惑がかかる人がいるのは申し訳ないけれども、それだけの思いをこの治療に託し、色々なものを犠牲にしているということに思いをやって、少し大目に見てもらえないものだろうか。