オバフォー夫婦の高度不妊治療日記(夫版)

夫の側から見た、高度不妊治療および超高齢出産について記していきます。

移植準備(4)ふかふかのベッドができるまで

そうこうしながら整えてきた移植準備の日々。

これはいったいどういうことをしていたことになるのか、ということについて説明することを忘れていたことに気がついた。

エストラゲンパッチのかゆみだとか、飲み忘れたらいけないルトラールだとか。そもそも何でこんなことをしなければならなかったのか。

 

答えを一言で書いてしまうと、要は「疑似排卵状態」を作り出すための作業をしていたのである。

受精卵を母体の子宮に着床させ、妊娠を発生させるためには、子宮がそれに向かって順調に準備を進めていることが必要である。

自然妊娠なら、そのタイミングは排卵と同時に整えられるのだけれど、つまこのような、排卵直前の卵を外に取り出して勝手に受精させ、それを元に戻す、ということになると子宮の側が準備OKとはならない。

そこで、ホルモンを外部から注入して子宮に「排卵期かも」と錯覚させ、着床に向けた準備を促すのだ。

これを、医師たちは「卵を迎え入れるふかふかのベッド」と呼んでいた。

 

ここにエストラゲンパッチについて補足しておきたいのだが、後になって調べてみたところ、エストラゲンパッチは不妊治療のために開発されたものではなく、そもそもは「更年期障害の治療用」として用いられる薬であるようだ。ということで、「歳を取った人のための不妊治療薬を使わされているのだな」と誤解していたのだけれど、上記の理由によるもので、女性ホルモンを補充する、という行為は同じであっても目的は異なっているわけで。

女性ホルモンが増えた駄犬、つまこはこの薬を使ってから「胸が大きくなった」といっていた。確かに、形がまん丸になってかっこいいおっぱいになったように思う。ただ、本人は別にそれを嬉しがっている様子でもなく、「体全体が下に押しつけられている感じ」がするのだとか。

あと、これを貼り始めたころとあいまって、つまこの鼻水が止まらなくなった。夏風邪かと思っていたらあまりに長かったので、これもこの強制的ホルモン注入が影響しているのかもしれぬ。 

 

しつこく書くが、エストラゲンパッチは、かゆい。

しかも、貼るパッチはだんだん増えてくる。貼り始めて2週間後には4枚、その2日後には6枚、移植日3日前には8枚と加速度的に増えて行った。最後のあたりになると、どこに貼ったらいいのか、候補先がなくなるくらいである。

さらには、移植日前日のテープは下腹部には貼らないでほしいとの条件まで付されてしまった。移植中もテープは貼ったままにしておくのだが、当日エコー検査であのヌルヌルを塗るので、剥がれやすくなってしまうから、とのこと。

 

飲み薬のルトラールは、移植直前の28日から始まった。これはただ飲むだけだからつまこの負担はないのだけれど、ポイントは前回の診察日に何人もの関係者から「絶っっっっ対、飲み忘れないでくださいね、特に初日」と脅されていたこと。KAWAもスケジュールに入れて管理するなど、つまこが忘れないように監視していたのだが、

意外とそういう時になるとしっかり者スイッチが入るつまこさん。初日はKAWAが気付いたころにはしっかり飲んでいて、その後も何回か忘却の危機に際したこともあったけれど、そのたびに何とか回避できて。

 

こんな感じで、意外と一番バタバタしていた時期、という印象が残った移植準備期。

それらを整えて、ようやく移植を迎えることになる。

移植準備(3)移植前の診察にて

移植スケジュールを決めた次の週末の8月17日、KAWA夫妻は再び9時30分に品川へ赴く。

前回はなかった採血が今日はあり、それを終わらせた後に子宮内膜の厚さを計る。

その後呼び出されて、前回の女性医師と面談。

単位はよくわからないが、347pg/mlという値だそうで、これなら今クールで移植に入れる、と言う。品川から進んできた列車は、ようやく浜松町から新橋についた、という認定だなと思った。ただこの区間は距離も無いし急坂等の難所でもない(ここで妨げられる何かがある、というよりも、遅かれ早かれたどり着けるところなのだろう)。あまり前進を感じさせられない前進だった。

 

8月28日以降で移植しましょう、と言われ、それでは週末の方がありがたいし、と31日土曜日を移植日に決定した。そのあと不安になって「実はそれより早かったり遅かったりする方がベストの状態、ということはありませんか?」と聞いてみたのだが、それは薬を飲み始める時期で調整ができるから問題ない、とのこと。

繰り返しになるが、胚移植とは、解凍した前核期受精卵を子宮に入れてもらうものであり、今回は8つある前核期受精卵のうち3つを解凍して2つを子宮の中に入れてもらう。「入れる」といっても、その時点では子宮にプカプカ浮かんでいるだけの状態であり、それが内膜に付くと「着床」となる。受精卵が着床すると、HCGというホルモンを体内に放出するようになって、それが尿の中で検知されると妊娠確認完了となるのだ。ここまで来たら有楽町、と言ってもいいのだろうが、そこはやはり相当な難所なのだろう、と受け止めた。その確率について医師に無理に問うことはしなかったけれど。

 

一方で残った1つの受精卵はそのまま培養して胚盤胞になるかを確かめていく。これはいわば新橋から有楽町に至るまでに汐留を経由するようなもので、これも難所越え。5日くらいで汐留に到達したかどうかが分かり、到達していたらそこで時間調整(再度冷凍)、到達していなければサヨウナラ。

残り5つの前核期受精卵は凍ったまま浜松町で待機。この先に行った列車が全滅したらまた新橋に向かったうえで解凍することになるのだけれど。

 

 また、今回大事なお薬を渡されることになった。それが「ルトラール」。これは黄体ホルモンの薬で説明書きには「子宮内膜に作用し、着床を助けます」とある。これを28日水曜日の午前中に飲み始める(=ここで移植日を調整するわけだ)のだが、診察を受けたときの医師、移植手術の流れを説明してくれたコーディネーター、薬を渡してくれた受付、の3人から「飲み始めは必ず忘れないように。そして飲み忘れたらいったん移植を延期します」と繰り返し言われたぐらいシビアなものだった。自分がちゃんと気を留めておかなければ、とKAWAは思った。特に、「お風呂の間も貼っておいて直後に張り替えるなど、いつも貼ったままの状態にしておいてください」と繰り返し言われたエストラゲンテープでさえ、「やってらんない」と剥がしてお風呂に入るつまこのことだから、うっかり飲み忘れても「少し遅れたけどどうせ問題ないよ」とおおらかに虚偽申告の上で移植に臨まれる可能性が大なわけで。

 

医師の説明があったあと、コーディネーターから移植日のことについて説明を受ける。当日は10時集合で、当日の移植者数にもよるが移植が行われるのは10時30分ぐらい。移植自体は数分で終わるらしい。

「それは麻酔するのですか?」とおびえるつまこに対し、麻酔はしません、と笑顔で答えるコーディネーター。ただ、カテーテルは比較的やわらかくて細いし、採卵のような痛みはないのだそうだ。

ポイントは、移植の時間までおしっこを我慢していなければならないこと。それは、女性の体の中身の問題の為で、膀胱が膨らんでいないと子宮がそちらに向かって倒れる形になってしまい、受精卵を子宮に入れるカテーテルの通りが悪くなる。その分、適切な場所に受精卵を入れるのが難しくなるということで。

とはいえ、直前にエコー検査をするので、そこで膀胱近くをぐりぐりやられた際に漏らしちゃゃった、となっては元も子もないから、限界ぐらいまではおしっこをため込むのが理想なのだろう。

これも、普段からトイレコントロールで練習をしておいてほしい、とコーディネーター。「わかりました」と神妙に答えたつまこだったが、帰り道で「そんなの私は大丈夫だよ。練習なんてする気がない」と一蹴。一応「子宮が曲がってると移植の時に痛いんですよね。そうならないようにおしっこの練習はしておいたほうが絶対いいんですよね」と質問して脅しておいたけど、効果はまるっきりなかったという事だ。

移植準備(2)苦悩のエストロゲンパッチ

かくして始まった融解胚移植準備期間。

ここからはつまこの薬が飲み薬ではなく貼り薬に変わった。「エストロゲンパッチ(商品名:エストラナテープ)」というもので、経皮吸収卵胞ホルモン製剤、とある。診察が終わると、KAWA夫婦は別室に呼ばれ、その薬の張り方についてレクチャーを受けることになった。

この薬は、不足するエストロゲンと言う卵胞ホルモンを皮膚から吸収するためのもので、更年期障害などのホルモン補充療法でも使われるシロモノだそう。半径2センチ程度の丸いパッチで、これを「胸以外の」体に張ってください、との説明があった。これをまずは体に2つほど。それを2日ごとに取り換えていくのだが、排卵期を迎えるにあたって増えていき、最高で8枚張ることになる。

なお、パッチの取り換えは夜にして、お風呂の前後で張り替えたらいいのでは、と思っていたら、「風呂も張ったまま入ってください、貼ってない時間が無いように」とかなり厳しい。また、貼る場所は毎回違うところにしてほしいと。

ちなみに、胸に貼ってはいけない理由を聞いてみると、説明者はおどろおどろしい表情をわざと作ったうえで、

「このテープを胸に張りますとね、乳がんを誘発する恐れがあるのですよ」とのたまう。

それなら下腹部に貼ったら子宮がんにならないの、と聞いたらそれは大丈夫なのだそうな。

そんな説明を聞いた帰り道につまこいわく、「注射がなくなっただけでも良かった。それだけでも全然違うよ」

ところが、それは甘い考えだった。

 

エストロゲンパッチをまず貼ったのは下腹部あたり。それをつけてみるとわかったのだが、とにかくやたらとかゆくなるらしい。

それを「たぶんあまりかゆくならなそうなところ」を選んで張り替えるのはKAWAの仕事になった。時には背中。時には足首。1回1回貼る場所を変えてみるのだけれど、つまこが「ここはかゆくなかった」と言い出すことは皆無で。汗が出るところは当然かゆいだろうし、お尻は汗をかかないだろうと思うものの、椅子に座っていると肌がしつけられるのであまりいいところとは思えない。それで一度は向う脛前方の、骨が固いところにペタッと貼ってみたのだが、貼った後に考えてみるとそれはそれですね毛が生えるとかゆかろう。また、内またとかわきの下といった、擦れやすい部分は最悪という事で、そういう所につけるとその後2日間はかゆみ地獄に耐える生活となる。

 

絆創膏貼っただけでもかゆくなるものだから、ホルモン剤を体に吸収させるためのパッチならなおさらだろう、とKAWAは思う。

例えば、このパッチは剥がした後にしばらく跡が残るのだ。まるでお灸をすえたような感じになっていて、それだけ皮膚に食い込んでいるのだからかゆくないはずもない。そして、テープの貼った後は2日後はおろか、1週間ぐらいは赤く炎症を起こしているし、それだけ皮膚に炎症を起こさせる薬だということだ。かゆみ止めとして保湿クリームを貰ってきてはいたが、あまり効果があるようには思われなかった。「同じ場所に続けて貼らないでください」というのもよくわかる。そんなことをやっていたら皮膚がボロボロになってしまうだろう。

 

後から振り返ってみると、つまこにしてみれば注射よりもつらい時期であったという。だから、お風呂に入るときは張り替えることを拒否し、まずは剥がしてゴシゴシした後、風呂上りに新しいのを貼る。「うっかり」はがれてしまった時には、まあいいやとそのままにしておいて、2日後にKAWAが発見することに。

まあ、絆創膏でさえ、同じところに貼り続けていたらかゆくなるものだ。ましてやホルモンの吸入剤である。それは理解できるし、同情の限りではあるのだけれど、

「これで失敗したらどうしてくれんねん。いくらかかっとるか知っとーか!?」とかいいたくもなり、とはいえそんなことを言ったらつまこが「じゃあ妊活やめる」とか言い出しかねないので、ぐっと我慢したのだけれど。

 

とにかく、一番かゆくなさそうなところはどこか。

2日おきにエストラーナテープを貼る係のKAWAとしては毎回が思案のしどころであったのである。

移植準備(1)今後のダンドリ確認

第2回の採卵日からもう一度リセットを起こし、次のステップへの準備を進めて。

そして迎えた8月10日、つまこが生理3日目となり、久しぶりに品川にいくことになった。土曜日なので、KAWAも当然一緒に行く。

つまこに言わせれば、出来たばかりで今が狙い目ですよ~と言われていたこのクリニックだが、最近は混んできたらしい。確かに、待合室は満席とまでは言わないもののかなりの人が入っている。

一緒にトイレに行って戻ってくるとすぐにつまこが呼ばれていき、そしてすぐに帰ってきた。この日は血液検査はなく、子宮の中を見たようだ。

おなかの中に機械を入れてぐりぐりぐり。「痛いの?」と聞いたら「痛いに決まってるでしょ!と言われる。それはそうだろうなあ、といつもながら申し訳ない気持ちになるのだが、男にはどうしてやることもできない。

そのあと、すぐに診察室に呼ばれたわけで。今回初めて会った女性の先生は、まずは前回の採卵のことについて話してくれた。こちらにとっては前に聞いたことのおさらいに過ぎなかったけど、こんな感じ。

・前回は卵子が6個あって、そのうち6個を採取した。その全てが成熟卵だったこと。(成熟卵が取れる確率は8割ほどなのだが、これがすべて成功した)

・そのあと、精子を中に入れて受精を確認。これがすべて正常受精となったこと(これが6割程度の確率なので、全部を正常受精に持ってこれたのは意外と大きいことなのではあるまいか、と思った)

・これで集めた正常受精卵は8個となったこと。試験管には5個しか入らないので4つずつ入れる。

そして、「このクールで移植を希望しますか?」と医師に言われて、つまこは「お願いします」と即答。それでは、と来週の土曜日にまた受診して、そこで子宮の中の厚さを計ることになった。

お勧めとしては~という今後のプロセスは以下のとおり。

・正常受精卵を3-3-2に分ける。まずは初めの3つを解凍。

・今ある初期受精卵の育て方は2つある。1つは母体に入れてそこで育てること。もう1つは試験管の中でそのまま胚盤胞になるまで育てること。但し、このクリニックでは「自然が一番」とおなかの中でできるだけ育てるようにしている。

・そこで、3つの解凍卵のうち、2つをつまこの子宮に移植する。2つを移植することにより、双子が生まれる可能性もある。1つずつ移植、という手もあるが、年齢を考え急ぎたいという事もあるのであればこの方が確率が上がる。

・残りの1個は試験管で育てる。これが胚盤胞になれば、再び凍結、次の移植に備える。

・それらが全滅したら同じ作業を次の3つで行う。

・さらにだめなら次の2つで行う。

そういうことなら2-2-2-2-に分けて4回母体に移植したほうが効率的なのではとも思ったが、そこらへんはこのクリニックの「方針」なのだそうな。ただ、双子が生まれる可能性があるのが嫌なら1つ移植して2つ胚盤胞まで外で育てる、という手も選択できるそうだが、あくまで解凍は3つ単位。

じゃあさ、とKAWAは質問。この後胚盤胞まで育つ、という確率はどのくらいなのさ、と。ここからが「年齢とか人さまざまですし…」となぜかもごもごして数字を出さない。責任取らせるわけではないし、イメージとしてつかんでおきたいから、と言い聞かせたのだが、どうもらちが明かない。

まあ、高いお金も出すし、失敗すればがっかりするしでなかなか確約したくないのだろうね。それでも聞き込んでしまったのは、やはり8個の正常受精卵を手に入れたことによる余裕というか。

「では、このような方針でいいかどうか、次回までに考えておいてくださいね」と診療の終わりに医師に言われ、「えっなんで?」となったKAWA夫妻。ここまで聞いて、何を悩めと言うのか。「オススメの通りでいいです(ていうか、それがベストな選択としか思えない)」と言って話を決めてしまった。

後になれば思えるのだが、やはりこの後の成功率の低さを考えると、どのように今後のダンドリを進めて行くのか、納得いくまで考え抜き、二人で結論を出してから移植に臨むべきで、「よくわからないけどオススメ商品があるならそれ買いますわ」と言いなりになるのも後悔のもとになるのかもしれない。自分の人生にとって大事なことであるからこそ、ヒトの提案に何も考えずホイホイ乗ることはできない、とする慎重派の方が多数派であったとしても、それは驚くに値しないだろう。

けれど、どんなに悩んだところで所詮はシロート。このクリニックにゲタを預けると腹をくくったうえで不妊治療を受けているKAWA夫妻なのだから、素人考えで右往左往したり、余計なサイド情報を入手して混迷を深めたり、というのは無駄だと思ったのだ。

そこらへん、KAWAとつまこは考えが全く一致していたわけで。

ここらへんも、8個受精卵を持つ者の余裕だったのかもしれない。 

 

第2回採卵日

そして第1回採卵日から1か月を経た後の7月20日(土)。第2回の採卵日を迎えるにあたって、KAWAは怒っていた。

 

2つの卵子が取れたあとにリセット(生理を起こさせる)し、再びつまこの卵巣に現れた卵胞の数は、なんと6個もあった。ただ、その卵胞を収穫するタイミングは難しく、早く摘みすぎると受精できないし、遅すぎると子宮の中にポトリと落ちてしまう。6個の卵子は成熟度がバラバラなので、薬や注射で調整しながらその微妙なタイミングを狙いに行くのだが、問題はその日付だった。

クリニックの医師から初めに提示された日にちは7月19日の金曜日。こちらもその予定で準備を進めてきたのだが、1週間ぐらい前の診察になって、つまこがこんなことを言い出したのである。

「その日は会社休めない」

つまこは税理士事務所で事務のパートをしているのだが、同じパート仲間に子持ちのマルコちゃん(仮名)がいる。そのマルコちゃん、子供が調子が悪いの、学校から呼び出されたの、でドタキャンで仕事を休む。そのしわ寄せで仕事がつまこや他のパート仲間に押し寄せており、しかも金曜日は休みたがる人が多いので、自分が休むわけにはいかないのだというのだ。

「あのさ、何が一番大事かわかってる?」

必然的にKAWAの口調が荒くなる。こちらはリミットが近づく中、文字通り人生をかけて不妊治療に取り組んでいるのだ。同じ社会人として、つまこが「腰掛パート」の気分でなく仕事に臨んでいるのは嬉しかったが、優先すべきものが違うだろう。

「まあまあ、仕方がないじゃないですか。何が何でも治療を優先させなきゃいけないものでもありませんし、採卵は次の日の土曜日にしましょう」

と、とりなしてくれた女性医師。今から考えれば、金曜日がベストだと思って採卵しても必ずしもうまく採れるとは限らないし、そのために何かを犠牲にするくらいならば日程をずらした方がいい、という考え方もあるのだろう。

だけど。

それでも、プロが見定めたベストなタイミングで採卵するのが一番いいに決まってる。 しかも採卵は、前にはことごとく乗り越えられずに散って来た、とてつもない高い壁なのだ。

これで「採卵してみたら全部子宮の中に落っこちてました」だったらどうしてくれる。こんな人生の一大事に仕事を優先させるような会社だったら、月曜日には速攻でクレーム電話を入れてつまこを退職させてやる。

そんな風にプリプリしながら迎えた、第2回の採卵日だったのだけれど。

 

第1回と同様、まずはKAWAがコップを渡されて採精作業。それが終ったタイミングで今度はつまこが診療室の奥へと消えて行く。

そこからKAWAが出来るのはただ待つことだけ。お昼は少しフライング気味に持ってきたサンドイッチ(ゲンを担いで、前回採卵日と同じものにした)をほうばる。ピコピコとゲームで遊びながら時間を潰すKAWA。クリニックは最近段々と診療待ちの患者さんが増えてきたが、その人たちも少しずつ数を消していき、KAWAと数名の患者さんのみが広い待合室で座るようになった頃、前よりもだいぶ早い1時過ぎにつまこが待合室に帰ってきた。

そして、その後すぐに診察室に呼ばれ、夫婦で中に入る。

 

卵子は6つ取れました」

説明したコーディネーターの女性がちょっと得意げな顔だったのを覚えている。6つあると言われていた卵胞、そのうち3,4個でも取れれば御の字だと思っていたのだが、まさかまさか、その6つ全部に卵子が入っていて、それをひとつ残らず確保したのだと言う。

前回の屈辱から、採卵に苦手意識のあるつまこ。これで大丈夫だ、とぱあっと華やいだ表情になった。KAWAも思わず「うっし!」とか声に出してしまうし。

クリニックからの帰り道、これでもう大丈夫だ、と第1回同様安心しきった表情のつまこに対して、「何言ってるの。まだ不妊治療の緒に就いたばっかりでしょ」とKAWAはたしなめたのだが、こちらも口元が緩んでしまうので何とも説得力がない。

この日は、本当につまこお疲れ様でした。採卵成功でテンションは妙に高いのだが、つまこは確実に疲れ切っていて、本来足立の花火大会が行われるこの日は、両方の母親を呼んで花火鑑賞をするのが恒例だったのだが、さすがに断らせて、と二人で静かに花火を楽しむ日にしてしまった。

 

そして明けて翌日の日曜日。

ダラダラと朝の時間を過ごしていたKAWA夫妻のもとに、早速クリニックからのメールが飛び込んできた。

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受精結果は以下の通りです。 

採卵総数:6   - 成熟卵:6  

精子   量: 2.90 ml   運動精子濃度: 83 万/ml   総精子濃度: 550 万/ml   運動率: 15.1 %

媒精   顕微授精数:6   - 正常受精卵:6

今回の前核期凍結胚   2本6個
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なんと、6個あった卵子のすべてが正常に受精卵になってしまった。

これもまた、オドロキの結果である。

精子の方についてはこう見ると訳が分からない。自分のできるせめてものことということで、お酒は控える、運動はする、と頑張ったつもりだけれど前回に比べて運動精子濃度、総精子濃度、運動率ともに悪いのはなぜだろう。

ともあれ、結果よければすべてよし。

これで手持ちの受精卵は8個まで増えたのである。

結果から言うと、この多めの受精卵確保、はその後の不妊治療においても大きな安心材料になった。「これが駄目なら次がない」という状態から解放され、ストレスが大幅に低減されたのである。その後KAWA夫妻は妊娠に向けて快進撃を続けて行ったのであるが、そのターニングポイントは明らかにここにあったのだと思う。

 

採卵日翌日ー受精確認

採卵の翌日は通常通り出社。この日、KAWAは珍しく飲み会がダブルブッキング状態となっており、まずは高校の部活の同期会に出席して、そのあと昔の仲間たちとの飲み会に2次会から合流するつもりだった。

仕事が予定通り(笑)立て込んで退社が遅れた後に新宿に向かい、まずは同期会に参加すべく場所をスマホで検索していたらつまこからLINEが届いたのを確認。

「重要な話があるので、1次会で帰って来て下さい。」

 

正直、少しビビった。

前日採卵した卵子に顕微授精を施し、ちゃんと受精できたか確認。そして受精した卵子に異常がないか確認。そんなことの結果報告が、この日のうちにクリニックから届く予定だった。

結局は2つとも受精できなかったという事なのか。それとも、卵子が奇形だったという事なのか。

まずは仲間たちとの2次会をキャンセル。同期会も気がそぞろの中で過ごした後、みんながこぞってHootersへ2次会に行くなかでいそいそと帰宅。

 

自動車保険のことで連絡があったんだけどさあ」

バタバタと帰ってきたKAWAに対して、つまこから飛び出してきたのはそんなセリフ。はぁっ?という言葉がついて出るのを止めることができなかった。こちらは卵子にどんな事態が!?とあわてて帰ってきたのに、とKAWAは思わずその場にへたり込む。

人が飲み会に行ったときにはそういう思いがけない言葉で惑わしてきて早く帰るように仕向ける。明らかに確信犯である。そういうことは結婚して6年、ずっと続いてきているはずなのに、まただまされた。

 

「でも、はい」

受精卵の方についてもやはり報告があって、つまこがスマホを差し出してくる。

それは、こんなメールだった。

 

―――――

受精結果は以下の通りです。

採卵   採卵総数:2  

- 成熟卵:2  

精子   量: 2.40 ml   運動精子濃度: 158 万/ml   総精子濃度: 625 万/ml   運動率: 25.3 % 媒精   顕微授精数:2   -

正常受精卵:2   - 今回の前核期凍結胚   1本2個

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なるほど、2つとも無事だったのかー、とKAWAは肩をなでおろす。

クリニックによっては、電話をかけて確認するというようなイベントがあるらしいが、このクリニックでは提携メール一本で済ませるらしい。どちらにせよ、患者側の努力で結果が変わるわけでもなく、何かに祈るとしても(大体どの神様に祈れと言うのか)吉報につながるとは思えない。そう考えると、採卵イベントで卵がいくつ採れた!と余韻に浸る中で忘れ去られるくらいがちょうどいいのであって、このような事務的なメールが来るだけ、というのはKAWA夫婦にとってはむしろ望ましい。

 

それにしても、ふたつとも正常受精確認。

これは、KAWAにとっては「一マス進む」というイベントであり、それなりに大きなステップだった。前に書いた表現で言えば、採卵成功で品川から田町に着き、これでもうひとつ駅を進めて浜松町についた、という感じ。どこかのブログや不妊治療体験者から聞くと、ここも一つの難関で、ちゃんと受精しませんでした、という結果もあって当然だったのだが、つまこにとっては「私にとっては当然」のことであるらしく、なんらの感傷も感じないようであった。それよりはとにかく、正常な卵子が2つ取れたことが大きく、励みになっている模様。

ともあれ、幸先の良いスタートと言える。もう一回採卵いってみようか。

第1回採卵日(下)

つまこが待合室に帰ってきてからしばらくして、今度は診察室に呼び出された。診察室は夫も立ち会い可なので、KAWAもつまこに連れ添って診察室へ向かう。

出迎えたのは「コーディネーター」と呼ばれる女性二人だった。まだ半人前っぽい若い女性を、よくなれた感じの女性がサポートしながら、話が進められていく。

「卵は2つ取れました」

「当医院では3つ以上取れてから次のステップに進むこととしています」

「そして、次の月経を薬で促進し(これを「リセット」と呼ぶ)、また採卵を行います」

 

どういう事かというと。

採卵された卵子には、選ばれた精子が中に入れられ(顕微授精)、その後正常受精していることを確認したうえで凍結を行う。そして、次のステップに進む段階になったときに受精卵を解凍して再び時を進め、母体の子宮に植え付けるという作業を行う。

まず、なぜわざわざ凍結するのか、というと、いったん子宮を休ませるため。

卵子の成長を薬と注射でコントロールし、採卵するという行為は、子宮をとても疲れさせるので、1回休みとした方がその後の進展が得られやすい。一方で受精卵はその後2,3日で着床準備ができてしまうから、まずはその動きを止めるために凍結を行う。

そして、受精卵が着実に成長するとは限らず、いくつか育ててみて、そのうちの一番生きのいい奴を人工的に着床させる、そういうステップを踏む必要があるわけだ。だから、受精卵は3つ程度は揃えたい、ということ。

何回か聞き返してようやく上記の趣旨を理解したKAWAが「それって、その3つが順調に育ったら、後の2つは捨てるという事ですか?」と愚問すると、「いえいえそんなことはしません。その時点でまた凍結しますよ」と笑われてしまった。

受精卵を育てる環境は、やはり母体の中が一番。けれど、母体に戻せなかった卵子も外で引き続き成長を促進し、それなりに細胞分裂が進んで胚盤胞という状態になったことを確認できたなら、再び凍結を行う。そしてお腹に入れた受精卵の成長が止まってしまったならば、その次の赤ちゃん候補として移植を行うということなのだ。

ここらへんになると何ともいえず、人間というより神の領域に近いよな、という感想をもらしてしまう。

 

最後にKAWAは、一番聞きたかったことをストレートに聞いてみた。

「要するに、今日は3つあった卵胞のうち、2つを取り出したと。そして、その中にはいずれも卵子が入っていて、それを抽出できた。そういう理解でいいですか?」

「おっしゃる通りです」

それを聞いていたつまこの顔がぱあっと和らいだ。

前回、4回も採卵したにもかかわらずいずれも卵胞が空胞であったこと。それが彼女にとってそれだけのプレッシャーだったんだな、とようやく理解した瞬間だった。

「とにかく嫌なのは採卵なのよ」とつまこは後に語った。自己注射が痛い、採卵作業が痛い、と痛いこともいや。けれど、不妊治療のつらさのもう半分は結果が出ない事。特に、どんなに採卵しても卵子が取れなかった、ということになると、女としての自分の機能に欠陥があると突きつけられているような気がして、それが心のつらさを呼び起こすのだ。

帰りの電車の中で、つまこは花を膨らませながら「卵子さえ取れれば、あとは私は自分の体に自信がある」と言い出した。

これで大丈夫、といわんばかりの状況だったので、「まだまだこれからだよ」とたしなめたKAWA。

前に出したたとえで言えば、品川から田端に向かおうと山手線に乗り込んで、ようやく次の田町についただけの話なのだ。これから先、田端にたどり着くまでどれだけの駅を通らないといけないか。そして、何度も品川から再スタートを切らないといけないかもしれないし、大崎の方に回ろうとか、行先は田端でなくて大宮だった、ということになるかもしれない。

だけど、これまではその田町までもたどり着かなかったのだ。列車がようやく動き出した。その高揚感は、確かに大きい。

 

がんばったつまこへのご褒美に、今日はちょっとだけいいところでごはんしようかとも思ったのだが、やはり手術疲れでご飯は家に帰って食べたいという事になり、上野の松坂屋でお総菜を買って帰るにとどめる。