オバフォー夫婦の高度不妊治療日記(夫版)

夫の側から見た、高度不妊治療および超高齢出産について記していきます。

第1回採卵日(下)

つまこが待合室に帰ってきてからしばらくして、今度は診察室に呼び出された。診察室は夫も立ち会い可なので、KAWAもつまこに連れ添って診察室へ向かう。

出迎えたのは「コーディネーター」と呼ばれる女性二人だった。まだ半人前っぽい若い女性を、よくなれた感じの女性がサポートしながら、話が進められていく。

「卵は2つ取れました」

「当医院では3つ以上取れてから次のステップに進むこととしています」

「そして、次の月経を薬で促進し(これを「リセット」と呼ぶ)、また採卵を行います」

 

どういう事かというと。

採卵された卵子には、選ばれた精子が中に入れられ(顕微授精)、その後正常受精していることを確認したうえで凍結を行う。そして、次のステップに進む段階になったときに受精卵を解凍して再び時を進め、母体の子宮に植え付けるという作業を行う。

まず、なぜわざわざ凍結するのか、というと、いったん子宮を休ませるため。

卵子の成長を薬と注射でコントロールし、採卵するという行為は、子宮をとても疲れさせるので、1回休みとした方がその後の進展が得られやすい。一方で受精卵はその後2,3日で着床準備ができてしまうから、まずはその動きを止めるために凍結を行う。

そして、受精卵が着実に成長するとは限らず、いくつか育ててみて、そのうちの一番生きのいい奴を人工的に着床させる、そういうステップを踏む必要があるわけだ。だから、受精卵は3つ程度は揃えたい、ということ。

何回か聞き返してようやく上記の趣旨を理解したKAWAが「それって、その3つが順調に育ったら、後の2つは捨てるという事ですか?」と愚問すると、「いえいえそんなことはしません。その時点でまた凍結しますよ」と笑われてしまった。

受精卵を育てる環境は、やはり母体の中が一番。けれど、母体に戻せなかった卵子も外で引き続き成長を促進し、それなりに細胞分裂が進んで胚盤胞という状態になったことを確認できたなら、再び凍結を行う。そしてお腹に入れた受精卵の成長が止まってしまったならば、その次の赤ちゃん候補として移植を行うということなのだ。

ここらへんになると何ともいえず、人間というより神の領域に近いよな、という感想をもらしてしまう。

 

最後にKAWAは、一番聞きたかったことをストレートに聞いてみた。

「要するに、今日は3つあった卵胞のうち、2つを取り出したと。そして、その中にはいずれも卵子が入っていて、それを抽出できた。そういう理解でいいですか?」

「おっしゃる通りです」

それを聞いていたつまこの顔がぱあっと和らいだ。

前回、4回も採卵したにもかかわらずいずれも卵胞が空胞であったこと。それが彼女にとってそれだけのプレッシャーだったんだな、とようやく理解した瞬間だった。

「とにかく嫌なのは採卵なのよ」とつまこは後に語った。自己注射が痛い、採卵作業が痛い、と痛いこともいや。けれど、不妊治療のつらさのもう半分は結果が出ない事。特に、どんなに採卵しても卵子が取れなかった、ということになると、女としての自分の機能に欠陥があると突きつけられているような気がして、それが心のつらさを呼び起こすのだ。

帰りの電車の中で、つまこは花を膨らませながら「卵子さえ取れれば、あとは私は自分の体に自信がある」と言い出した。

これで大丈夫、といわんばかりの状況だったので、「まだまだこれからだよ」とたしなめたKAWA。

前に出したたとえで言えば、品川から田端に向かおうと山手線に乗り込んで、ようやく次の田町についただけの話なのだ。これから先、田端にたどり着くまでどれだけの駅を通らないといけないか。そして、何度も品川から再スタートを切らないといけないかもしれないし、大崎の方に回ろうとか、行先は田端でなくて大宮だった、ということになるかもしれない。

だけど、これまではその田町までもたどり着かなかったのだ。列車がようやく動き出した。その高揚感は、確かに大きい。

 

がんばったつまこへのご褒美に、今日はちょっとだけいいところでごはんしようかとも思ったのだが、やはり手術疲れでご飯は家に帰って食べたいという事になり、上野の松坂屋でお総菜を買って帰るにとどめる。