オバフォー夫婦の高度不妊治療日記(夫版)

夫の側から見た、高度不妊治療および超高齢出産について記していきます。

不妊に関する思い

話は少し変わる。

 

長々と結婚しなかった二人が片付いたら、今度は周りから子供を期待されるものだ。

うちの場合も、

つまこがちょっと太ったら友人が「もしかして…?」

つまこがお酒を断ったら親戚が「もしかして…?」

子供なんて結婚してやることやってれば自然にできる。

そんな風に思うものだろうし、たいていの人にとってはその通りなのだろう。だからこそ、結婚してもしばらく子供が出来ずに過ごしているKAWA夫婦のようなのの方が不自然であって、世間一般的には不妊のつらさがわからないんだろうな、と思う。さらには「あの二人、何かおかしいんじゃないかしら」とか言われているような気がするのだ。これは、自意識過剰もいいところだけど。

 

また、世の中には「選択子無し」という人たちもいる。そういう人たちであれば「うちら子供いらないんで」と公言するのもひとつなのだろうけれど、ネットで見ていると「うちは子種がないんじゃなくて選択子無しなのに…」と非妊が不妊を差別する論調も良く見かけるものだ。それも当人が何らかの負い目があるからだと思うのだけれど、「不妊と一緒にしないでよ、失礼な!」と言っているみたいで、正直非常に不愉快。

 

いつまでたっても九九を覚えることができない子供もいる。

どんな簡単な歌でも音をはずしてしまう音痴だっている。

KAWAの場合は、小学校を卒業するまで、ついに逆上がりができなかった。ツベルクリン注射も最後まで陽性にならなかったし。

ごく自然に物事が出来る人は「なんでこんな当たり前のことが出来ないんだろう」「こんなことができないなんてありえない」と思うものなのだろうし、些細なことなのだろうけれど、

当人にとってはコンプレックスの根源であり、ちょっとした心無いセリフに大きく傷ついてしまったりする。

KAWA夫婦、オメデタはまだかしら。

本当は、子供が欲しいと思っている当人たちが一番気にしていることなのだ。

こちらの気持ちに思いをはせるのが出来ないのだとしても、せめてそっとしておいてほしい、というのが本音のところで。

 

そんな状態だから、街にいる子連れや妊婦、などについてもKAWAがイラッとすることも多数。

特に、我が物顔で混雑をかき分けて更新するベビーカーとか。こんなに混んでるんだから子供は抱っこしてたためよ、とか思ってしまう。そんなのがエレベータの前でずらりと並んで待っていること自体が不愉快だし、さらには「ベビーカーを優先して入れてあげましょう」なんてエレベータもあったりすると、フザケンナと心の中で叫んでしまう。

他には、水戸黄門の印籠よろしく「マタニティマーク」をぶらさげたバッグを抱えて電車に乗っている、いわゆる「妊婦様」とかも。酷いのになると、ラッシュアワーの中、ぐりぐりと人の間を抜けて座席の前を確保し、「譲れよ」と無言の圧迫をかけたりしてくる。つわりがつらいならラッシュ時の電車なんか乗るなよ。人に行為をかけてもらうことを前提にするな。

…認めます。全部、嫉妬なんです。そして、「心無い」なんて書いているけど、自分も何処かで別のことで人に嫌な思いをさせていることもあるのだろうし(たとえば、いつまでも結婚できない人とか)、そこらへん世の中は持ちつ持たれつでできているのだ。だけどね。